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二重橋爆弾事件 (1922年) : ウィキペディア日本語版 | 二重橋爆弾事件 (1922年)
二重橋爆弾事件 (にじゅうばしばくだんじけん)とは、大正11年(1922年)3月17日、大正天皇もしくは摂政宮に上奏文を渡して直訴する目的で皇居に二重橋(第一橋)から入り込もうとした労働者・藤田留治郎が、持っていた爆弾に火を付けて走り出し、詰所の警官を振り切って橋の上で爆死して自殺した事件である。単に二重橋事件とも云う。 == 概要 == 3月17日午後1時過ぎ、二重橋の外側を警備する警視庁の渡辺巡査が、拝観者の方にやって来た4、5台の自動車を制止しようとした時、拝観者の列から一人の男が飛び出した。男は「直訴だ、直訴だ」と連呼して二重橋へ突進。警官を振り切って通用門から侵入しようとした。 二重橋の内側は近衛兵が警備するが、ちょうど歩哨交代の時間で上番の3名と下番の2名が集まっていて、通用門が開けられたばかりであった。男は警官に追われながら橋を渡り、帽子を被らず外套を着て、ゴムの短靴をはいて手に茶筒のようなものを持ち、懐からは煙が出ていた。男が手を振り廻しながら「危ない危ない」と叫んでいるので、星野上等兵はその右手に持っている茶筒のようなものが危険物かと思い、突嗟に男を門内に入れまいと突き飛ばした。男は仰向けに倒れ、手に持っていた茶筒のようなものを投出した。この茶筒には上奏文と写真などが入っていた。星野上等兵が門を締めて鍵をかけようとした瞬間、大きな爆音がした。 男が自ら点火した爆弾がこの時に懐中で爆発し、爆音と共に五臓を露出して自殺を遂げたのである〔。音に驚いた星野上等兵が再び門を開けてみると、男は向って左側の中沢一等兵の背後の方に倒れて死んでいた。石垣一杯に血が飛び散って、見るも無残な有様であったという〔。
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